大判例

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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)3337号 判決 1985年6月19日

控訴人

株式会社栃木相互銀行

右代表者

宮崎宇一郎

右訴訟代理人

大木市郎治

渋川孝夫

被控訴人

佐藤昌伸

右訴訟代理人

長谷川武

石田弘義

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二  当事者の主張

一  被控訴人の請求原因

1  原判決添付物件目録記載の各土地(以下、本件土地という。)は、もと被控訴人の祖父である佐藤市太郎(以下、市太郎という。)の所有であつたところ、昭和五三年四月二二日、同人の死亡により、被控訴人が代襲相続によりこれを承継取得し、その所有者となつた。

2  控訴人は、本件土地について、前橋地方法務局昭和五〇年三月七日受付第七六九〇号根抵当権設定登記(以下、本件登記という。)を経由している。

3  よつて、被控訴人は控訴人に対し、本件土地の所有権に基づき、本件登記の抹消登記手続を求める。

二  請求原因に対する控訴人の認否請求原因1、2の事実は認める。

三  控訴人の抗弁

1  控訴人(取扱店・前橋支店。以下、同じ)は昭和五〇年三月五日訴外吉田建設株式会社(以下、訴外会社という。)に対し金四五〇〇万円を貸し付けた。

2(一)  その際、佐藤千代次(以下、千代次という。)は控訴人との間において、実父である市太郎のためにすることを示して、本件土地につき、極度額金五〇〇〇万円、債権の範囲・相互銀行取引、手形債権、小切手債権、債務者・訴外会社、根抵当権者・控訴人とする根抵当権設定契約(以下、本件契約という。)を締結した。

(二)  市太郎は千代次に対し、かねてよりその財産を処分する権限を委ねていたものであり、右契約に先だつてこれに同意し、その代理権を与えていた。

(三)  なお、控訴人は、被控訴人の後掲2、(一)の自白の撤回に異議がある。

3  仮に、千代次が本件契約を締結する代理権を有していなかつたとしても、民法一一〇条所定の表見代理が成立する。

すなわち、

(一) 千代次は、市太郎から、本件土地に関し、少なくとも使用収益し管理する権限を与えられていたところ、右の権限の範囲を超えて本件契約を締結した。

(二) 控訴人は本件契約に先立ち、職員をして本件土地の現地調査に赴かせ、同所において千代次より本件契約につき、父・市太郎の同意を得ている旨の確認を行い、更に、本件契約に際して、千代次が市太郎の署名と実印の押捺ある根抵当権設定契約書、登記用の委任状、本件土地の登記済証及び市太郎の印鑑証明書を所持していたことなどから、千代次に本件契約締結の代理権ありと信じたものであつて、かく信じたことについては正当の理由がある。

4  以上がいずれも認められないとしても、市太郎は昭和五〇年六、七月ころ控訴人職員の説明を受けて本件契約の成立を知つたにもかかわらず、死に至るまで控訴人に対し何らの異議も述べずに右の状態を放置し、本件登記抹消についての措置を採らなかつたものであるから、市太郎は千代次の無権代理行為を事後承諾ないし追認したと同視すべきである。

5  千代次の本件行為が市太郎の無権代理となるとしても、昭和五三年二月一日千代次の死亡により、その長男である被控訴人は千代次の無権代理人としての地位をも相続によつて承継したことになり、しかして更に被控訴人はその後、本人たる市太郎の死亡により同人の一切の権利を代襲相続により承継し、ここに無権代理人としての地位と本人としての地位の両者を併有するに至つたのであるから、結局、無権代理人が本人を相続承継した場合と同じく、本件無権代理行為は法律上当然に有効と確定する筋合いであつて、本件契約は有効に確定した(大判昭和一七年二月二五日・民集二一巻四号一六四頁等参照)。

6  仮に、右5の主張が認められず、被控訴人が本人としての地位に基づき千代次の無権代理行為を追認しないと言うのならば、控訴人は、民法一一七条一項、四〇七条一項に基づき、本訴において被控訴人に対し無権代理人である千代次の地位を承継した者としての履行責任を選択してその責任を求める。

四  抗弁に対する被控訴人の認否

1  抗弁1の事実は不知。

2(一)  被控訴人はさきに抗弁2(一)の事実を認めたが、右は事実に反し、かつ錯誤に基づく自白であるから、これを撤回する。本件契約は、訴外会社の代表取締役吉田潤一郎が恣に市太郎の代理人と称して締結したものであるから、抗弁2(一)の事実は否認する。

(二)  抗弁2(二)の事実は否認する。

3(一)  抗弁3、(一)の事実は否認する。

(二)  同3、(二)の事実は否認する。

仮に千代次が市太郎の代理人として本件契約をし、控訴人が千代次の右代理権の存在を信じたとしても、控訴人は金融機関でありながら、しかも容易に本人たる市太郎の意思の確認をなし得たのに、これを怠つているのであるから、控訴人には正当理由はなく、表見代理が成立する余地はない。

4  抗弁4の事実は否認する。

5  抗弁5のうち、千代次が昭和五三年二月一日死亡し、被控訴人が同人の権利義務一切を相続により承継したことは認めるが、その余の事実は否認し、控訴人の法的見解は争う。

本件は、控訴人の主張によれば、無権代理人である千代次の死亡時には、本人である市太郎は生存しており、このとき市太郎は本人としての追認拒絶権を有していたのであるから、本質的に、無権代理人が本人を相続した事案とは異なる。本件の如く、偶々無権代理人の地位と本人の地位を併せ有する状態になつたからといつて、当然に千代次の無権代理行為が有効となるものでもないし、本人として有していた追認拒絶権の行使が制約されることははなはだ公平さに欠ける。被控訴人は、千代次の無権代理行為には全く関係していないのであるから、被控訴人が市太郎より承継した権利に基づき千代次の無権代理行為の追認を拒絶しても何ら信義則に反しない。そこで、被控訴人は本訴において、本人・市太郎の相続人として、千代次の本件無権代理行為の追認を拒絶する。

6  抗弁6は争う。

五  抗弁6に対する被控訴人の再抗弁

控訴人は、千代次には市太郎を代理する権限のないことを知悉していたか、あるいはこれを容易に知り得たにもかかわらず、敢えて調査確認を怠つた過失によりこれを知らなかつたものであるから、千代次ひいては被控訴人が無権代理人としての履行責任等を負う謂れはない。

六  再抗弁に対する控訴人の認否再抗弁事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>によると、抗弁1の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

三被控訴人は、さきに抗弁2、(一)の事実を自白した後、その自白を撤回し、右の事実を否認したが、被控訴人の右自白が真実に反し、かつ錯誤に基づくものであることについては本件全証拠によるもこれを認めるに足りないから、被控訴人の右自白の撤回は許されず、したがつて、千代次が昭和五〇年三月五日父市太郎の代理人として、控訴人と本件契約をしたことは被控訴人の自白するところというべきである。

四そこで、抗弁2(二)及び同4、5について検討する。

1  <証拠>によると、

(一)  市太郎(明治二八年五月二〇日生)は、長男千代次(大正一三年一月八日生)と長年同居していたが、その間、別段仲の悪いことはなかつたこと。

(二)  市太郎は本件契約当時七九歳で、同人が死亡すれば千代次が相続する予定であつたこと。

(三)  佐藤家では、市太郎が本件土地等で農業を経営し、長男千代次に嫁久子を迎えてから、市太郎、久子等が農業に当つていたが、市太郎の加令に伴い昭和四四年農協に対する関係で、農業経営者を千代次名義に変更したこと、尤も、千代次は昭和四四年から約三年間きのこの栽培をしたほかは、農業に従事せず、他の仕事をしており、訴外会社代表者とは仕事上でも密接な関係にあつたこと。

(四)  千代次は、本件契約に先立ち、現地調査に来た控訴人の前橋支店長代理田村幸三を案内し、自分が佐藤家の家政を処理し、土地を管理している趣旨の言動をとつていること。

(五)  千代次は、本件契約に際し本件土地の登記済証や市太郎の実印、印鑑証明書を所持しており、本件契約書の市太郎の記名、捺印を代行し、登記済証や印鑑証明書を訴外会社を介して控訴人(前橋支店)に提出したこと。

(六)  千代次は、昭和五〇年六、七月ころ市太郎を同道して控訴人(前橋支店)をおとづれ、訴外会社との間で同社に提供した担保が短期間の約であつたことを理由に、星野勝一貸付係長に対し、本件土地についての根抵当権がどうなつているかを尋ねるとともに、「登記の抹消をしてもらえないか。」と要請したところ、同係長は、控訴人と訴外会社との取引は継続的なものであり、同社に対する運転資金としての貸付残があることを理由に、「登記を抹消するわけにはいかない。訴外会社と交渉したらいいのではないか。」などと説明して、千代次らに帰つてもらつたが、右話し合いの間、市太郎は千代次と同席し、そのやりとりを傍で一部始終聞いていながら、本件契約が無断でなされたなどの異議、弁疎の申立はもちろんのこと、何らの発言もせず、その後も市太郎は死亡に至る迄、本件登記について控訴人に何らの異議も述べずに放置したこと。

以上の各事実が認められ、<証拠>のうち、右認定に副わぬ部分は採用しない。

右の事実を総合すると、本件契約当時、市太郎は事実上隠居した身であつて同人の財産の事実上の管理処分権が千代次に帰し、千代次は、これを自由に処分し得る包括的な権限を有し、或いは、千代次は少くも本件土地について本件契約を締結する権限を有していたのではないかと疑う余地があるけれども、さればといつて千代次が右のような権限を有していた事実を認定するにはなお資料不足の感を免れず、他に右事実を認めるに足る証拠はないから、結局、千代次の本件契約締結の行為は無権代理行為といわざるを得ない。

2  しかしながら、前記1の(一)ないし(五)を背景としての(六)の事実、すなわち、昭和五〇年六、七月頃市太郎が、本件根抵当権設定登記について、控訴人の担当者からその抹消を断わられたのを聞きながら、それでも本件契約が無権限でなされたなどと異議を述べることもなく帰つたという事実によれば、その際市太郎は、控訴人に対し、千代次の本件無権代理行為をやむを得ないものとして容認し、本件無権代理行為に有効な代理行為と同様な法律効果を生ぜしめる旨の黙示の意思表示をして、追認したものと認めるのが相当である。右認定を覆すに足る証拠はない。

3 のみならず、以下説示のような理由によつても、被控訴人は、千代次の右無権代理行為につき、本人自ら法律行為をなしたと同様の効果を受けるのを免れない。

すなわち、千代次が昭和五三年二月一日死亡し、被控訴人が同人の権利義務一切を相続により承継したことは当事者間に争いがなく、これと前記一の被控訴人による市太郎の代襲相続の事実によれば、被控訴人は、無権代理行為をなした千代次の地位を相続により承継し、しかる後に、本人である市太郎の地位を代襲相続により承継し、両者の地位ないし資格を同一人格において有するに至つたことになるところ、このような場合には、本人が自ら法律行為をしたのと同様の法律上の地位ないし効果が生じ、無権代理行為は当然有効となるものと解すべきであつて、この理は、無権代理人が自ら本人の相続をなしその地位を承継した場合と何ら択ぶところがないというべきである。蓋し、無権代理人は本人を相続することにより本人が自ら法律行為をしたと同様の法律上の地位ないし効果を生ずる筈のものであるから、そのような無権代理人を相続した者が更に本人を相続した場合にも右同様の地位ないし効果を生ずるものと解すべきであり、信義則上からいつても、斯かる相続人にその相続した本人の地位を用いて追認を拒絶する余地を認めるのは相当ではない(大審院昭和一七年二月二五日判決・民集二一巻四号一六四頁参照)。この点に関する被控訴人の主張は採用しない。

五以上によれば、被控訴人の本訴請求は失当であるから棄却を免れないところ、これと結論を異にする原判決は不当であつて、本件控訴は理由があるから、民訴法三八六条により原判決を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき同法九六条八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(田中永司 宍戸清七 笹村將文)

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